~事務局通信 Vol.40 春の散歩(前編)~ 

皆様、お疲れ様です!
お久しぶりの投稿になりました。私は例の「長崎検定」やら何やらで心身ともに忙しかったです。
もう桜は散ってしまったようですが、ちょっと前撮った桜の写真載せます。

雨の日だったので、写真暗いですね、、すごくキレイだったのに~。

さてさて、今回はですねーー。
去年の2月頃、某委員会の最後の企画に参加しようとしてたんですが、当日わたし風邪引きましてやむなく中止、私が考えた企画でした。日の目を見ず永遠にお蔵入りするところでしたが・・・。なんと!わたくし!ついに!一年の時を経て!!決行しましたぜ!!!

はい、内容としましては、駅前の西坂にあります「日本二十六聖人記念碑」からその殉教地に向け建てられた「大浦天主堂」(正式名は「日本二十六聖殉教者聖堂」、また浦上の潜伏キリシタン達が信仰の告白をして名のりを挙げた信徒発見の場でもある)まで歩く、という壮大で地味な散歩でございます。
っつうことで早速行きましょう。

京都や大阪で捕らえられた信者達はわざわざ長崎まで連れて来られ処刑されます。なかには幼い少年もいました。
その様子は歌で感じてみましょう。人間は残酷なことしますね。。。

この様子を長崎で目の当たりにした信者ですが信仰を捨てず、その後200年以上も密かに子々孫々信仰を守りぬき、大浦天主堂で信徒発見となります。

殉教した日です。

大浦天主堂の方向ですが、ビルなどで見えませんね。

さて、大浦天主堂向かう前に、ちょっと寄り道で長崎駅に行ってみます。
新しい駅へと変わりつつある様子を見て来ました。
こういう建設途中を見るのって楽しいですよね、今しかみれませんから。


改札の向こう側が、今は遠いですね。。。早く県外にも気兼ねなく行き来したいです。

こちらはMICE施設、大きいですね。完成したらしっかり利用しないと!


では大浦目指して歩きましょう。筑後町の方へ歩いていきますと

「本蓮寺」キリスト教が盛んだった頃は「サンジョアンバプチスタ教会」でしたが禁教令により取り壊されお寺へとなります。教会時代の井戸「南蛮井戸」は今でも残っています。

えっと、ここからやみくもに歩きまして、着いたのは大波止。出島ワーフ横にある浜勝の横にこんなものがありますよ。


その昔、「長崎港駅」というのがあったそうです。その名残です。

蒸気機関車が走ってたそうな。大正時代は長崎ー上海航路があって賑わっていたようです。ちなみにその頃の長崎の人口は九州で1位、全国でも7位だったそうです!

と、今回、私的には「長崎検定」引きずってるようなマジメな記事になった感じありますが、思いのほかボリュームありまして、また次回へと続きますよ~~(汗
良かったら見て下さーーい!

 

 

 

 

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